美容医療のリアル 「整形ローンを組む学生たち」──それは生き方の自由か、容姿の呪いか。

目次
- 「ほとんど施術ローンの支払いを案内するんだよね」
- 「可愛くなる努力」は、ローンで叶えるものになった?
- 成人年齢の引き下げがもたらした想定外の自由
- 自分で選んでいるようで、選ばされていないか?
- 美容医療が消費になるとき、支払いは「自尊心」である
- 美容医療を、ただの消費にしないために
「ほとんど施術ローンの支払いを案内するんだよね」
そう話していたのは、大学生や夜職の女の子相手に美容クリニックを進める知人の話だった。
20歳そこそこの彼女たちが、すでに複数の施術経験があり、全身脱毛など合わせるとかなり高額になる治療費を、
当たり前のように分割払いを利用していたことに、私は少し驚いた。
「可愛くなる努力」は、ローンで叶えるものになった?
今はもう、整形すること自体はめずらしくない。
SNSでは「垢抜けるには◯◯がマスト」といった投稿があふれ、
#整形垢 や #ビフォーアフター投稿が自己管理の一環として共有されている 。
可愛くなることは、もはや努力。
「整形する・しない」は、ファッションを選ぶ感覚に近づいている。
でも──
その努力が、「ローンを組んでまでも」やるべきことだとしたら?
私たちは、それを本当に自由な選択として見ていいのだろうか?
成人年齢の引き下げがもたらした想定外の自由
2022年、成人年齢が18歳に引き下げられたことで、
高校を卒業したばかりの18歳でも、親の同意なく信販ローンが通るようになった。
クレジットカードも、分割払いも、サインひとつで契約できる。
その結果、
「社会に出る前の学生が、自分ひとりで美容医療のローンを組む」
という現象が、じわじわと広がっている。
最初は数万円の施術でも、
気づけばリタッチやメンテナンスで数十万円単位の支払いが続くケースもある。
それでも、「バイト代で払えるし」「可愛くなりたいから」と、
やること前提で進んでいく。
自分で選んでいるようで、選ばされていないか?
「整形するのは自由」──それは間違いじゃない。
でも、ほんとうに自分で選んでいるのか?という問いには、少し考え込んでしまう。
- SNSで「可愛くなきゃ置いていかれる」という空気感
- すっぴんや加工なしの顔でアップすることへの抵抗感
- 初回は安いが、リピートや維持が前提になった価格設計
この整形するのが当たり前な空気は、
もしかすると、整形しない自由を奪ってはいないだろうか。
美容医療が消費になるとき、支払いは「自尊心」である
施術に使ったお金が、「自分を変えるための投資」ならいい。
でも、もしそのお金が「今の自分では足りないから」出しているものなら、
それはちょっと、危うい。
美容医療は、自己否定の穴を埋める手段ではないはずだから。
美容医療を、ただの消費にしないために
どんなにローンが通りやすくなっても、
どんなにSNSで整形がカジュアルに語られていても──
それを「本当に必要か?」と立ち止まる時間は、絶対に必要だと思う。
自分の人生を自分で選ぶために。
美容医療を、ただの消費にしないために。

