美容医療が心に与える中毒性──変わることをやめられない理由

目次

  1.  やってよかったと思う瞬間
  2. 満足が承認に変わるとき
  3. 変化が基準を塗り替えていく
  4.  SNSがつくる比較のループ
  5.  承認の延長にある強迫観念
  6.  止まることへの怖さ
  7. 自分をどう扱うかを考える

やめたいのに、やめられない。
もう十分きれいなはずなのに、どこか落ち着かない。
そんなやめられなさの正体を、
心の側から考えてみたいと思います。


 やってよかったと思う瞬間

鏡の中で、自分の表情が少し明るく見える。

その変化を見つけたとき、
やってよかったと感じるのは自然なことだと思います。

美容医療に費用も時間もかけた分、
しっかり成果を得たいという気持ちもある。

だからこそ、より「やってよかった」と思いたい心理が働くのだと思います。


満足が承認に変わるとき

ただ、自分の中で満足を消化できる人と、
誰かに認められてこそ安心できる人、
その二つの傾向があるように感じています。


最近では、施術を受けたことを
SNSなどで発信する文化も定着してきました。


いまは、美容医療を受けることそのものに
一種のステータスが宿る時代です。

治療の価値が、
いつの間にか「自分の価値」と重なっていく。

この錯覚が、歯止めを失わせる要因のひとつかもしれません。


変化が基準を塗り替えていく

最初は、気になる部分を整えるだけだった。
でも一度変わると、それが新しい基準になります。


変化は人を慣れさせる。

いまの自分が普通になると、
次の変化を求めるようになる。

その繰り返しが、美容医療を
「修正」ではなく「更新」として続けさせるのだと思います。


 SNSがつくる比較のループ

SNS上では、
常に誰かのビフォーアフターが流れています。

他人の成功を見れば見るほど、
自分の変化が小さく感じられる。

比較と慣れが重なり、
「次こそ理想に近づけるかもしれない」という思考が生まれる。

そして、その思考が次の予約を後押ししていくのではないでしょうか。


 承認の延長にある強迫観念

美容医療を続ける理由には、
褒められる心地よさと、認められなくなる怖さがあります。

治療を重ねるほど、
他人の反応に敏感になっていく。

それは、努力が可視化される世界だからこそ生まれる反応です。


「前より老けたと思われたくない」
「もうやらないの?と聞かれたくない」


そんな思いが、
知らないうちに義務感のような形を取ることがあります。

やめることが退化のように感じられ、
美容医療を受け続けることが「現状維持」になる。

この心理は、依存というよりも、
社会的な強迫観念に近いのではないでしょうか。


 止まることへの怖さ

美容医療の中毒性は、
変化そのものよりも「変わり続ける安心」にあると感じています。


止まったときに、
不安や比較に飲み込まれるのが怖い。

だからこそ、動き続けていた方が楽に思える。


一度「変わる」ことに慣れてしまうと、
変わらない自分が不安になる。

その感覚が、やめられなさの正体かもしれません。


自分をどう扱うかを考える

けれど、本来の美容医療は、
自分を肯定するための手段であって、
不安を埋めるための習慣ではないはずです。


費用や時間、痛みやダウンタイム。


そこに我慢があるほど、
人は「元を取りたい」と思うものだと思います。


本来、投資としての美容医療の価値は、
目に見える変化だけではなく、
生活のしやすさや、心の軽さにあるはずです。


健康的であること。
実年齢に比べて、肌年齢や不定愁訴が少ないこと。


それは、お釣りが出るほど価値がある結果だと思います。

見た目の変化以上に、
毎日のQOLを上げること。

それこそが、美容医療という投資の
最大のリターンなのではないでしょうか。


美容医療は、心を追い詰めることもあれば、
支える手段にもなる。


だからこそ、
変わることよりも「どう生きやすくなるか」を考えること。


歯止めが効かなくなった人に、この記事が
少しでも安心材料になったら良いなと思っています。

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