引き算美容の落とし穴──洗わないスキンケアで気づいたこと

目次
- 引き算ケアこそ正義だと思ってしまった時
- 敏感肌に傾いた私が出会った、洗わないスキンケア
- 最初の数日は、期待でいっぱいだった
- うまくいかなかったのは、肌が教えてくれていた
- スキンケアは、信じるものではなく観察するもの
- 今の私が思うこと
引き算ケアこそ正義だと思ってしまった時
「肌を育てる」「余計なものは使わない」。
雑誌や、WEB記事でも引き算美容という言葉を耳にします。
ミニマルで清潔な印象があり、なんとなく肌にも良さそう。
私もその考えに共感し、
シンプルなケアこそ肌を整える近道だと思っていました。
でも──。
実は引き算しすぎて、肌を壊してしまった経験があります。
敏感肌に傾いた私が出会った、洗わないスキンケア
なんとなく肌の調子が落ちてきた頃、
ある記事の見出しに目がとまりました。
「陶器肌を目指すなら、角質を育てましょう。」
その言葉に惹かれて読んでみると、
「洗顔しすぎが肌を弱くする」と書かれていました。
育てるという考え方にも共感して、
どこか救われる気がしたのを覚えています。
そのスキンケアは、決められた化粧水を独自の使用方法で使い切るというもの。
届いた化粧水は、ボトルも処方もシンプル。
肌に必要なものだけを詰め込んだようなコンセプトでした。
朝晩の洗顔を控え、
保湿もその1本だけ。
いわゆる洗わない美容法を、私は本気で始めてみたのです。
最初の数日は、期待でいっぱいだった
肌がつっぱらず、しっとり落ち着いた感じがして。
「これが育つってことなのかも」と思いました。
でも、3日目を過ぎたあたりから違和感が。
ざらつき、小さな白ニキビ、Tゾーンのテカリ。
それでも「角質が整うまでには時間がかかる」と思い込み、
そのまま1か月ほど続けてしまいました。
結果、肌はどんどん扱いにくくなり、
Tゾーンは油っぽく、手触りもザラザラ。
見た目にもどんよりとくすんで、透明感どころか、黄色くなった印象に。
うまくいかなかったのは、肌が教えてくれていた
後から振り返ると、
肌は最初からサインを出してくれていたんだと思います。
- 肌に合うかを見極めず、口コミを信じてしまった
- 「育てる=我慢」と思い込んでいた
- 洗わないことで、角栓や汚れが蓄積していた
私の肌の不調は、
インナードライが原因の乾燥から来る赤み。
何より、私は「効果を出すには耐えるのも大切」と
どこかで思い込んでいたんです。
けれど本当は、肌ってすごく正直で
ヒリつきも、ざらつきも、皮脂の変化も、
全部「いま、負担がかかってるよ」という小さなSOSを出しています。
それを「好転反応」や「一時的な変化」だと信じ込んでいたから、
自分の肌の声を聞く力が鈍っていったんだと思います。
育てるという言葉に救われたつもりが、
本当は、観察をやめてしまっていたのです。
スキンケアは、信じるものではなく観察するもの
肌の調子が悪いときほど、
「何かを足せば」「何かを変えれば」と焦ってしまう。
でも、肌はそんなに急には変わりません。
むしろ、焦りがスキンケアを迷走させることもある。
必要なのは、反応を見極める冷静さ。
- 赤みが出たのは乾燥?それとも刺激?
- ざらつきは古い角質?それとも皮脂バランスの乱れ?
ひとつずつ切り分けて、
今の自分の肌を観察することが、
結局いちばんの近道だと感じます。
肌はデータでも理論でもなく、
毎日少しずつ変わる生きた臓器。
信じたい理想よりも、
今日の肌をちゃんと見てあげることのほうが、
よっぽど確かなケアになるんだと実感しました。
今の私が思うこと
肌を「整える」って、我慢でも努力でもなく、
肌を観察しながら、正常な状態を取り戻し、維持すること。
思い込みほど、危ないものはありません。
少しマニアックなメソッドがハマる人もいるけれど、
それが王道にならない理由には、やはり意味があると思います。
美容医療も、きっと同じ。
一部のアグレッシブな治療だけが注目されがちですが、
多くの人に支持される治療こそ、
トラブルが少なく、再現性が高い証拠ともいえます。
流行りよりも、「普及しているもの」に目を向ける。
それは、結果よりも続けられる美しさを選ぶということで
信じるより、観察するほうがずっと誠実である、と今はそう感じています。

