やっても足りない。恋愛依存にも似た、美容医療の沼

目次
- 「もう十分なはずなのに、まだ足りない気がする」
- 効いていないと感じる恐怖
- 承認欲求の麻薬
- この感情が悪いわけじゃない
- やりすぎの境界線は、自分でしか引けない
「もう十分なはずなのに、まだ足りない気がする」
最初は「少し整えたい」「疲れて見えるのをどうにかしたい」だけだった。
でも、気づけば「もっと綺麗になりたい」という気持ちが止まらなくなる。
──いや、本当はうっすら分かっている。
もう十分変わってるし、
他人から見たら「何も追加しなくていい状態」になっている。
それでも、予約サイトを眺めてしまう。
次はどこを治そうか、何をしようか。
この感覚は、恋愛依存に似ていると思う。
相手に必要とされているか、愛されているか。
不安だから何度も確かめたくなる。
そういう繊細な人にとっては、美容医療も同じだと思う。
効いていないと感じる恐怖
もっと怖いのは色々やってるはずなのに「効いていない気がする」こと。
効いていないなら、もっと回数を増やせばいい。
次は違う方法を試せばいい。
そうやって、どんどん治療間隔が詰まっていく。
本来は休ませるはずの肌を、急かすように触り続ける。
「かけたお金の元を取りたい」という執念が頭を離れない。
もうこれ以上はやらない、と決めたのに、
数日経つと「でももう一回だけ…」と思ってしまう。
承認欲求の麻薬
美容医療は、ただ美しくなる行為じゃない。
褒められたい。
認められたい。
報われたい。
その気持ちが、静かに大きくなっていく。
一度「自分で自分を承認できる快感」を知ってしまうと、
やめることが怖くなる。
「美しくない自分は価値がないんじゃないか」
そんな気がしてしまう。
恋愛で、相手の反応がないだけで不安になるように、
誰かに褒めてもらえないだけで、
不安が膨らんでしまう。
この感情が悪いわけじゃない
私はこの依存心を否定する気はなくて
きっと多かれ少なかれ、誰もが持っているものだと思っています。
でも、「足りない」と感じるたびに
自分を傷つけていないかだけは、立ち止まって考えたい。
美容医療は、本来「自己肯定感」を整える手段のひとつ。
なのに、いつの間にか「自己否定を埋めるための薬」になってしまう。
やりすぎの境界線は、自分でしか引けない
誰に何を言われても、
やっているときは自分が正しいと思っている。
だからこそ、この沼に一度ハマると抜け出せない。
もし今、
「説明ではもう十分なはずなのに、まだ何か足りない」と思っているなら、
少しだけ立ち止まってほしいと思います。
恋愛と同じで、
「追いかけるほどに苦しくなるもの」に近い部分もあると感じています。

