「美容医療を、ただの消費にしない未来へ」

美容医療は、ここ十数年で一気に身近な存在になりました。
SNSの映え需要や安売り広告、学生でも組めるローンの普及
──そんな現象が広がるなかで、「消費」として語られる場面が増えています。
けれど、そのすべてを消費として片づけてしまっていいのでしょうか。
現場には、もっと切実なニーズがあります。
長年のコンプレックスから解放されて、やっと人前で笑えるようになった人。
シニア世代になり、子育てや仕事を終えて
「これからは自分のために」と医療を選ぶ人。
美容医療には、「老いる自由」と「変わる自由」、
その両方を支える可能性があると私は感じています。
一方で、コンプレックスビジネスとして一部の業者やコンサル会社、
SNSの過剰な煽りによって、本来あるべき健全さが損なわれている側面もあります。
国内市場は急速に広がった反面、ある角度から見れば成熟を越えて、
腐敗寸前とも思える光景さえ見受けられます。
カウンセリングでの提案に納得いかず
「可愛くないと、生きている意味がない」と叫んでしまう患者さん。
予約調整が思い通りにならなかっただけでスタッフを罵倒する人。
都心の激戦区で働く医師が、望まないSNS投稿を経営側から強要され、
学びたい技術以上に慣れない作業に忙殺される現実。
ここから浮き彫りになるのは、患者も、スタッフも、医師も──
本来は幸せになるための選択のはずが、
それぞれの強迫観念へと絡め取られてしまうという事実です。
それでも私は、美容医療はただの若返りではなく、
自己理解と選択の自由を広げるものだと信じています。
若者が安易な消費に流されないよう、情報の透明性を整えること。
シニア世代が安心して自分に投資できる環境をつくること。
働く世代が「疲れて見えない顔」で再び社会に踏み出せる支えとなること。
そうした未来を想像したとき、
美容医療は社会にとってもっと大きな意味を持つはずです。
「美容医療を消費にしない未来」は、
きっと私たち一人ひとりの生き方ともつながっています。
だからこそ、私はnoteを書き続けています。
美容医療を、もっとオープンで誠実なものに。
施術体験や業界のリアルを隠さず語る場をつくることで、
誰もが自分の選択に納得できる未来を考えていきたいのです。
「美容医療を、ただの消費にしない未来へ」
──それが、私の考える「未来のためにできること」です。

